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オリンピック開催日に。。。

渋谷区を中心に中古マンションの売買仲介を行っている株式会社リアルプロ・ホールディングスの遠藤です。

 

今日はオリンピック開会式のあった日の出来事について書かせて頂きます。

     これから夏にむかって(おりょー♪ありがとう)
     これから夏にむかって(おりょー♪ありがとう)

一人の女性が旅立たれました。 

2021年7月24日の夜、ある女性の旦那さんから私宛に1通のメールが届きました。

 

しばらく連絡せずに申し訳無いという謝罪と長い癌との闘病生活だったが7月23日に肺炎になってしまい妻が亡くなったとのこと、そして、本人の意思で家族だけで葬儀を行うのでご理解くださいと記されていました。

 

娘さんとご主人で最後までそばにいてあげられたようで、唯一救われた気がしました。

 

彼女は私の妻と30年来の付き合いで、家族で京都周辺を旅行し比叡山延暦寺の宿坊に宿泊したこともあります。

 

また、娘さんのおさがりをうちの娘がいっぱいもらい、うちの娘は彼女にも彼女の家族にも親しくさせてもらいました。

 

私は私で彼女に「算命学上では心に宿すパワーは化け物に近い程あるから、うまくそれを活かせば大丈夫」と言われ、その言葉のおかげで、リーマンショック後の不良債権処理の後始末で精神的にも金銭的にもどん底の時期を乗り越えられた気がします。

 

私たち家族は彼女の病状が安定している内に、会いに行きたかったのですが癌が進行してしまい、更にコロナ過になったため、会うことが出来ませんでした。

 

ただ彼女もまた、会うことを望んでいなかったと思います。衰えていく自分を昔から知ってるからこそ見せたくないという気持ちで私に死ぬまで病気のことを知らせなかった今は亡き親友や、自分の母親が、年月が経過する程、高齢化も重なり、元気になるはずが無いのに、「元気になってから人と会う」と言っていたことが頭によぎりました。

 

さらに私の妻からも、先が長くないと自覚している分、少しでも家族との生活をより濃いものにしたいと思っているので会いに行きたいけど行けないとも言われていました。

 

私は今までの自分の経験から、「亡くなってから会いに行くのでは意味が無い。生前のうちに会っておくべき」という、持論があったのですが、果たして自分が逆の立場だったらと考えると、わからなくなります。

強い意志と笑顔が忘れられない人 

彼女は私の妻と生年月日が同じ、入社した会社も同じで、会っていない期間はありますが私も30年以上の付き合いがあります。

 

英語が得意で海外で働き、旦那さんは外国の方です。

 

この旦那さんが日本が大好きで日本語はペラペラ、歴史も好きなので、二人で天下分け目の戦いのあった関ヶ原の古戦場に行ったこともあります。

 

彼女の印象はとても明るいのですが、意志が強く、意志を貫くタイプで行動力が非常にある人でした。まあ海外でしばらく働いていたぐらいなので当然と言えば当然ですが。。。

 

お互いの家で食事をしたり、日帰り旅行や大学の文化祭等にも行きました。彼女の家族の家探しや、娘さんの通うアメリカンスクールにうちの娘がサマースクール期間だけですが、通ったこともあります。

 

その彼女が「もういない」と思うと自然に涙がでてしまいます。実は先ほどちょっとお話ししましたが、私は2014年4月12日に、幼稚園からの喧嘩友達で、ライバルであり、仕事仲間でもあった親友(享年46歳)を同じく癌で亡くしています。

 

彼は運動神経抜群、リーダーとしての素養があり、顔もかっこよく、高校生のときには空手の埼玉県大会個人戦で優勝経験もあります。

 

当然、喧嘩しても、いつも勝てませんでしたが、なぜか喧嘩しては仲直りをしての繰り返しでした。

 

私は小中学生の時に「いじめっ子」と「いじめらっれ子」の二つを経験しており、いじめられてからはより強くなろうと心に誓い体を鍛え、弱いものは助けるという考えに改まっていたので、気にする必要は無かったのですが、どうも小学生の際に、つけられたあだ名が嫌いで、ずっとコンプレックスに思っていましたが、彼だけはそのことがわかっており、いつでも「遠藤」と呼んでくれていました。

 

彼は癌になった当時、現在一部上場のセントケアホールディングの役員であり、些細なことで喧嘩をし、私が頭にきて全く連絡を取らなくなってしまいました。

 

実は私がこの頭にきて連絡を取らなくなった直後に癌がわかったそうです。

 

毎年恒例で地元で忘年会をやるのですが、2013年の忘年会は、なぜか旗振り役の彼からの誘いがありませんでした。2014年の年明けに、たまたま中学の同級生3人でお酒を飲んだ際に一人がその彼に電話して「来い」と誘ったのですが、私はまだ怒っており、電話で話す機会があったのに電話には出ませんでした。

 

その後、電話があったのは、彼の会社の部下からの訃報の知らせでした。彼の部下には「ふざけるな!なんで死ぬ前に言わないんだ!」と怒鳴ってしまいましたが、「遠藤だけには死ぬまでは自分が癌であることは教えるな!」と彼から口止めされていたそうです。

 

忠実に守った部下は凄い。セントケアグループは会社総出で病気療養中の彼を支援したそうで、葬儀も社葬に近い形で行われました。

 

独身で仕事一筋だった彼の亡骸は彼の戦闘服であるスーツを着ており、最後まで企業戦士として、リーダーとしてかっこよく旅立っていきました。

 

その後、セントケアホールディングは、1部上場に昇格したのですが、その際には、社長が胸に彼の遺影を入れて上場の鐘を鳴らしたと彼の会社の後輩から聞かされました。

 

ちなみに7年経過した今でも私はセントケアグループとはビジネスでお付き合いをさせて頂いています。

 

彼が亡くなった後も、彼の後任や後輩達から声掛けしてもらい、今でも私がお付き合いさせて頂いているのは、セントケアグループの方々の心意気と彼の凄さだと感じています。

 

癌という病気は、昔は「死」に直結する病気でしたが、今は不治の病とは違うと言われています。

 

事故とは違い、完治出来ずに進行してしまった場合でも、ある程度死期が読めるので、時間的な余裕があるとは言われますが、亡くなるまで知らされずに亡くなった故人に対面するのと、病状が重くなっているのに会えず、亡骸にも会えないままお別れをしなければいけない。どちらも苦しく、感情を抑えることが非常に難しいです。

 

私は亡くなった人を前にしてしまうと感情が高ぶり、涙にひれ伏してしまいますが、荼毘され、遺骨なってしまうと涙を大抵抑えることが出来てしまいます。

 

「それは、ご遺体という形があれば未練が残るのが、荼毘された後はあきらめがつくから」とお坊さんに説教されたことがありますが、「人間は外見的なものではなく、中身が大切」と自分自身で言っておきながら、荼毘された後の、収骨の場になると急に心が軽くなります。実は表面的なものしか見ていないのかも知れません。

 

但し、私の場合はその後もかなり長期間の間、みっともないくらい、だらだらと何かあると思い出して、涙してしまうというのが実情です。

 

人間は時と場所により生き方を選択し、人とのつながりもその都度、変化していくので、なかなか一生を通じて、連絡を取り合うというのは難しく、恐らく、損得無しで、付き合いが続くような親友と呼べるような人は片手分くらいの人数しかいないと感じています。

 

今回、彼女が亡くなったことにより、また強く7年前に亡くなった親友も鮮明に思い出し、「1日1日を大切に悔いなく精いっぱい生きる。但し、遊ぶときは徹底的に遊ぶ!」という想いを再認識しました。

 

彼女のご遺族の悲しみは簡単には癒える訳がありませんが、必ず、会いに行き、彼女の分まで、また親しくさせて頂ければと思っています。

本来なら心の内にだけ閉っておくべきだが少しでも多くの人に見て欲しいと感じました。 

私の心の中ではこのことをブログに記載すべきか非常に悩み、今でも実は答えがでていません。

 

私は先ほど話した親友を亡くしたことは、ある意味親を亡くした時以上にショックで今でもよく思い出し、そのたびに「人生を無駄に生きるな!」と自分自身に言い聞かせています。

 

しかし、実はその親友の命日を思い出せなかったのです。彼が亡くなる1年前に彼を含めた中学時代の同級生で桜を見に行き、その時、やけに寒かったことなど鮮明に覚えているのに命日を覚えていないのです。

 

また数年後、彼の婚約者から人伝で連絡があり、お墓に中学時代の同級生と一緒に連れていった際に、婚約者が「もう私も結婚していいよね?でないとおばさんになってしまう」と墓前に語りかけた姿も鮮明に覚えているのに、命日を覚えていないのです。

 

本来は命日など関係なく一緒に過ごした日々が鮮明であり、また「人生楽しく明るくそして無駄に生きるな!」と日々感じていればそれで実は良いのかも知れませんが、今回彼女が亡くなったことで、それだけではダメだと感じてしまいました。

 

先ほど彼の命日が記載できたのは、彼の葬儀に出席した際に、中学の友達で必ず安否確認を最低半年に1回するというノルマを決めており、その際に教えてもらいました。情けない限りです。

 

今回亡くなった彼女は日々の出来事をブログに綴りそれが生きるはげみにもなっていたようです。彼女を私は決して忘れることは無いですが、彼女の生きた証をより多くの皆様に知って頂きたいと改めて強く感じました。

 

彼女のお姉さん達が、彼女の生きがいであったブログは閉鎖しないとお決めになったようなので、私もその意思を引き継ぎ、彼女の生きた足跡をなるべく多くの人に伝承できればと思っています。

 

「人にはいつか死が必ず訪れるし、だからこそ、どれだけ実りある人生を過ごしたかにより、人の価値は決まる。何歳まで生きたかは関係ない!」と偉そうに言っていた時期がありますが、彼女の死は早すぎるし、もっと時間を共有したかったと感じています。

 

でも、もし彼女の寿命が最初から決まっていたのであれば、最後まで楽しく明るく前を向いて生き抜いた彼女はサイコーにかっこよいです。ありがとう。そしてまたいつか・・・

 

彼女のブログは下記の通りです。彼女のハンドルネームは「おりょー♪」です。

癌と暮らす日々あれこれ